2016年7月1日

東京ラカン塾精神分析セミネール「文字の問い」 2015-2016年度 第26回,2016年07月01日

La temporalité en tant qu'unité extatique de fermeture aliénante et d'ouverture séparante de l'inconscient

無意識の異状的閉じと分離的開きの解脱的統一性としての時間性


Edgar Allan Poe の『盗まれた手紙』において Dupin が言及する子どもの「偶数か奇数か」のゲームが競技者どうしの影在的な関繋のなかで為されるのに対して,Lacan は,Freud が『快原則の彼方』で論ずる幼児の Fort-Da 遊びにもとづいて,不在と現在を表す − と + または 0 と 1 から成る最も単純な確率過程を,其こにおいて徴在の位が主体を決定するところの jeu du signifiant [徴示素の遊戯]を表すものとして提示するために,こう述べています (Écrits, p.46) :

« L'homme littéralement dévoue son temps à déployer l'alternative structurale où la présence et l'absence prennent l'une de l'autre leur appel. C'est au moment de leur conjonction essentielle, et pour ainsi dire, au point zéro du désir, que l'objet humain tombe sous le coup de la saisie, qui, annulant sa propriété naturelle, l'asservit désormais aux conditions du symbole. »
[人間は,其こにおいて現在と不在が互いの呼び出しに応じ合うところの構造論的交互成起を展開することに,文字どおり,自身の時間を捧げている.現在と不在の本有的な合接 [ P ˄ Q ] の瞬間において – いわば,欲望のゼロ点において – 人間客体は,〈その自然的特性を無化し,以後,人間客体を記号の諸条件へ隷属させる〉捕捉の一撃のもとに倒れる.]

そこにおいて Lacan が思考しているのは,1964年の書:『無意識の位置』と Séminaire XI において pulsation temporelle de l'ouverture et de la fermeture de l'inconscient [無意識の開きと閉じの時間的拍動]と呼ぶことになるものです.



Freud の孫が或る客体(糸を結びつけてある糸巻き)を遠くへ放り投げては近くへたぐり寄せて遊ぶ Fort-Da(喪失と現前)の遊戯に準拠するなら,不在は喪失の穴が開く分離に相当し,現在は仮象の現前により穴が閉じられる異状に相当します.

現在と不在の本有的な合接」における「合接」は,接続詞「かつ」による結合であり,集合論においてはふたつの集合の重なり合いによって表されます.つまり,Lacan が Séminaire XI で提示した図においては,それは,ふたつの円の交わりの領域,まさに S(Ⱥ) の切れ目です.

S(Ⱥ) の切れ目は,徴在の位 [ l'ordre du symbolique ] の穴として,人間存在を実在の位 [ l'ordre du réel ] へ ex-sister [解脱実存]させることになります.

「無意識の開きと閉じの時間的拍動」と Lacan が呼ぶところのものは,しかし,物理学的な時間の軸に沿って持続する運動ではありません.我々はむしろ,量子力学に言う「状態の重ね合わせ」の概念に訴えて,言語存在の構造は,閉じと開き,異状と分離の重ね合わせの状態を有している,と考えます.

あるいは,Heidegger が『存在と時間』で言う意味での時間性をそこに見出します.閉じと開き,異状と分離の状態の解脱的統一性 [ ekstatische Einheit ] としての解脱的時間性,それこそが,存在の真理の解脱実存的な在処 [ die ek-sistente Ortschaft der Wahrheit des Seyns, la localité ex-sistente de la vérité de l'être ] です.

Heidegger が『存在と時間』で « die Zeitlichkeit zeitigt sich » という néosémique な表現で示唆しているのは,存在の解脱実存的な在処のことにほかなりません.



東京ラカン塾精神分析セミネール「文字の問い」 2015-2016年度 第26回


日時 : 2016年07月01日,19:30 - 21:00,
場所:文京区民センター 2 階 C 会議室

今年度の最終回となる今日は,Lacan の1971年の書 Lituraterre の読解を試みます.

三種類のテクストは以下の site から download することができます:

1. Lituraterre in Autres écrits, pp.11-20 ;

2. Lituraterre in Séminaire XVIII (version Seuil), pp.113-127 ;

3. Lituraterre in Séminaire XVIII (version Staferla) ;

参加費無料.事前の申請や登録は必要ありません.

東京ラカン塾精神分析セミネール 2016-2017年度は,本年10月下旬に開始されます.取り上げる予定のテクストは,Lacan の1969-1970年の Séminaire XVII L'envers de la psychanalyse [精神分析の裏]です.そこでは,四つの言説が初めて提示されています.また,Freud の『モーゼと一神教』について論ぜられており,父の名について改めて問うためにも重要なセミネールです.